映画監督 岡元雄作さんインタビュー「今、目の前のことに全力を注ぐだけ」

アメリカ・ロサンゼルスで行われた映画祭にてベストアンサンブル賞を受賞し、その映画監督としての才を映像制作会社の代表としても生かし、活躍し続ける岡元雄作さん。

映画監督として、一人の人間としての岡元監督の魅力に迫ります。

 

映画好きから映画監督へ

自己紹介としてお名前となぜ映画監督になろうと思ったのかを聞かせてください!

岡元雄作です。もともと映画監督になろうとは思っていなかったんですよ。

でも、親がすごく映画が好きで子供のころから映画館に連れていってもらって、それで映画に洗脳されたみたいに好きになっちゃって(笑)

子供だったら、例えばドラえもんとかも見たいじゃないですか。でも親が見たい映画を見に連れていかれることが多かったです。

そこで大人向けの映画を見せてくれたりして、それで映画の面白さにはハマっていった感じですね。

見ているうちに監督になりたいとは思ってなかったんですけど、映画のエンドロールに自分の名前が載る仕事がやりたいと思ってたんですよ。

 

そのころから具体的に映画に関わる仕事はしたいと思っていたんですか?

 

それを仕事にしたいと思っていなかったですけどぼんやりとは思っていましたね。

でも大人になるにつれて、なんかそんなことって簡単にできるわけないなと思っていて…

高校の時は映画とは建築をやっていたので建築大学に行きたいと思って浪人していたんですが3DCGというものに出会って僕の人生は変わりました。

『トイ・ストーリー』とかが出始めたころであの映像に魅せられてしまいました!

今だから言えることなんですけど、どっぷりはまっちゃって、勉強なんてせず夏期講習のお金をCGのソフトを買うお金に使ってしまってました(笑)

3DCGって撮影はしないですけどCGの世界で映画を作るみたいなものなんです。

そして、そのタイミングで大学行くより映像制作の道に進みたくなってCGの学校に通うようになったんですよ。

そこからCGを扱う映像制作会社に入ってこのころから映画のエンドロールに載りたいって言うのが現実味を帯びてきましたね。

 

その会社にいる時点でもう「監督」も視野に入れていたんですか?

 

その時は全然なくて。

でも5分くらいのアニメーションの短編映画をCGで作っていました。

実写で作ろうとかは思ってなかったのでカメラで撮ったりはしたことなかったです。

就職してその当時は倍率も高くて有名な会社にいてそれで自分の道が開けたって部分もあったんですけど...

今だったら絶対入らないような超絶なブラック企業でした(笑)

結果的にその会社を体調を崩して辞めた後、やっぱり映画に関わる仕事をしたい、自分の手で映画を撮ってみたいって初めて思ったんですよね。

そして当時28歳くらいだったんですけど、夜間の映画学校に1年間通ってそこで知り合った仲間と映画を撮るようになりました。

そこで初めて撮った映画が映画祭で審査員特別賞を取ることができて、自分が認めてもらえてという嬉しい気持ちと、悔しいからグランプリを取りたいという気持ちが沸き上がってきたのすごく今でも覚えています。

その時グランプリ取っていたら今、映画監督やってなかったかもしれません。

しかしそのころのモチベーションは「監督になる」ではなく、「グランプリをとれる作品をつくりたい」という気持ちでしたね。

そこから何本か作るうちにグランプリをとることができて。

それが京都の映画祭で、ちょうど審査員でいらっしゃったのが『夜のピクニック』で有名な長澤雅彦監督で、僕の作品を気に入ってグランプリに選んでくれたんですよ。

 

それはめちゃくちゃうれしいですね!!

 

嬉しかったです!!!

そんな雲の上の人とつながれるだけでもすごい嬉しいし緊張しまくりましたね。

それなのに若さと勢いに任せて長澤監督に「次の作品作るのにちょっと協力してもらえませんか?」とお願いしたら、プロデューサーとして僕についてくださったんですよ。

そして違う映画祭に出したときにプロデュースしていただいた作品がまたグランプリを取ったんですよ。

こんな形で、映画祭に出していけばいくほど、評価を得れば得るほど声かけてくださる方がいっぱいいるんです。

そしてお金をいただいて、「映画を撮る」ということがだんだん仕事になり始めました。

それまでは自分が100%考えたものを作っていたけど、プロデューサーの意見だったりとか、他の人の意見を取り入れて自分だけじゃないものを作るということを逆に楽しいって感じましたね。

 

そのタイミングで、監督を仕事にして生きていくと決めたんですね。

 

そうです。何本かとっていていいものを作っていれば必然的にそれを見つけてくれる人がいて、またいいものを作っていくを繰り返して今に至るみたいな感じです。

 

 

「リアル」と「自分の感じたこと」を映画という作品にする監督のこだわり

とはいえここまでここまで映画監督という仕事をしていて、「この時期きつかったな」「映画辞めようかな」と思ったタイミングはありましたか?

 

2、3年前がきつかったです。

『カメラを止めるな』と全く同じ枠で対になる映画を僕が撮った時ですかね。

仕事で仲のいい人たまたま「面白い監督知らない?」という話題になって、「今受賞をたくさんしている上田慎一郎という人がいるよ」とのちに『カメラを止めるな』を生み出す監督を私が紹介したんですよ。

そして知っての通り『カメラを止めるな』は大ヒットしたんです。

方や興行収入30億で何百という映画館で上映されている作品でみんなに知られている作品と、私の作った作品は知られてないわけじゃないですか。

同じ枠、同じ予算で撮っているのに…。こんな風に自分で比べて一度立ち直れなくなってしまいましたね。

でも後悔はしてないです。紹介したのはこのタイミングだったのですがこの『カメラを止めるな』でヒットしてなかったとしても面白い作品を作り出していたのでいずれ世に出る人だと思っていたので。

 

よくある監督の貧乏時代こんな風に大変だったという話も出るかと思っていたんですけどそれよりよっぽどきついですよね 。

 

次の作品で海外の賞取れたらいいなとか、もう。それも向こうの作品は現実にしちゃっているわけで自分はできていないというのが本当にきつかったです。

そこから映画撮るのが本当にきつくなっちゃったんですよ。

それまでは自分と自分の作品の評価だけを気にすればよかったんですけど、比べられるっていうところがすごくきつくて怖かったです。

当時は短編映画撮ってたんですけどなかなか長編映画撮ろうかなとないかなみたいな感じになれなかったんです。

そこからどのように立ち直ったのですか?

 

それが『Last Lover』という作品を通してだったんですよ。自分は『カメラを止めるな』の影響でトラウマになっていたのですが、そのタイミングで母親が亡くなったんです。

その時に母親を追悼する映画を作ろうと思って過去のトラウマ何も気にせずに本当に追悼したいという思いだけでこの映画を作ったんですよね。

本当に興行収入とかも考えてなくてどこかで上映してお客さんに見てもらえたら追悼になるかなと思っただけだったんです。

その母親のために作った作品が一番みんなに評価してもらえたんです!

 

この『Last Lover』という作品はLAの日本映画祭でベストアンサンブル賞を取っていますよね。

この賞は音楽、演技などの調和が素晴らしい作品に送られるとお聞きしました。

個人的にはここに対するこだわりがあるのかなと思っていたんですけど、それよりもお母様をただ追悼したいという気持ちが伝わったのでしょうか。

 

映画を見てもらう人に対して楽しんでもらうためのエンターテインメントとしては計算して作ってはいるんですけども、心の底にあるのは母を追悼したいという気持ちだけでした。

母とは話せないこといっぱいあったので「母親に会いたい」なとただ思ったんですよ。

そして、戻ってきて話したらどうなんだろう?それは多分嬉しいと思うんですけどそれがもし戻ってきて帰らなかったらどうなるんだろう?もし日常になってしまって家に住み着いたらそれって嬉しいのかな?

そういった僕自身の死者への関わり方やその時に肌で感じたものをエンターテイメントに仕上げているんです。

 

岡元さん自身こうした「リアル」という部分をすごく大事にしているのかなと思っていましたが、「リアル」に加えて深い所のメッセージも届けられたらいいなという考えだったようですね。

 

まさにその通りです。

そして、それを痛感するできごとが『Last Lover』の上映期間にあったんですよ。

『Last Lover』の上映していた時に、毎日映画館に行っていたんですけど出てきたお客さんの一人が握手して下さって「こんなに素晴らしい映画作ってくれてありがとうございます。自分も母親亡くしてすごい塞ぎ込んでいて、どうしたらいいかわかんないっていう状態だったんですけどこの映画を見てすごく希望になりました」と、泣きながら言ってくれたんです。

その瞬間、「これだ、俺が映画を作る理由は」と思ったんです。

そこからすごく気持ちが楽になって賞はとりたいとは思うんですけど一人一人に届ける映画を作りたいと思いなおすようになりましたね。

原点に戻るとよく言いますけど、いろんなものを考えすぎてどうこうっていうよりも、シンプルにお客さんに届く面白いもの作りたいっていう気持ちがこの時改めて大事にすべきことだ気づきました。

 頂いた仕事は全部やり切りこと、自分の納得できるクオリティに仕上げること、この二つにこだわっているのが自分らしさ。

そういった映画含めたエンタメ全体がコロナの影響で殺されたと言っても過言じゃないと思いますが実際ダメージはどうですか?

 

緊急事態宣言が出た時は本当に何もできなくて外も出れないし撮影もできないので何もできなかったです。

先ほど話した『Last Lover』も1月に公開して本当は2月くらいまで上映していたんですけどコロナの影響でWeb公開をしました。

劇場で見てほしい気持ちはもちろんあったけど、家から出ないから見てくれるっていう環境の中でそういった形にすぐ切り替えたのはよかったかなと思ってますね。

その後もYouTubeドラマもやって緊急事態宣言開けてすぐ作ろうってなって2ヶ月もせずに作って公開もできています。

だから、やっていることはそんなに変わらないですね。

現状は映画は最後の切り札として配信できるのでうまくそちらにシフト出来ています!

 

質の高い作品を生み出し、いい仕事ができているからこそ配信にシフト出来ているかと思います。

ここまでお話されてきた話も含めて仕事をするにあたって岡元さんの「自分らしさ」とはなんだと思いますか?

 

頂いた仕事は全部やること、どんなに安い報酬であっても自分の納得できるクオリティのものを仕上げるということ、この2つはこだわっていますし、「自分らしさ」だと思ってます。

初めは安いですが段々報酬も高くなってくるのです。

極端な話以前1万円で映画を作って下さいて言われたこともありました(笑)

でもいいものを作っていれば、この人にお願いしたいと思ってくれる人が現れます。

そういう人たちに全力で応えたから今があるんですよね。

 

当たり前だけどなかなかできない岡元監督の「自分らしさ」だと思います。

それでは最後に読者に一言いただけますか。

 

当たり前ですが今の自分に全力を注いだらいいと思います。

サラリーマンって極端な話、手を抜いててもお金をもらえますよね(笑)

でも、我々の世界では手を抜いたらもう次はないんです。

なんなら手を抜いた仕事は自分へのマイナスの評価を作ってしまいます。

どんな仕事でも人との繋がりがすべてなので、今の仕事に全力を注ぐことで未来の自分の評価を上げていってください!!

 

 

岡元雄作

 

映画監督/映像制作会社代表

 

2020年映画『Last Lover』でロサンゼルス日本映画祭ベストアンサンブル賞を受賞。

 

ベルリンモーションピクチャーフィスティバルでグランプリにあたる最優秀長編作品賞を受賞

 

株式会社ASTROSANDWICH PICTURES INC. http://astrosandwich.com/